豊川市が主催する「若い翼コンサート」。市内在住の若いアーティストを支援するために開かれ、2022年度は豊川市御津町の津軽三味線奏者、森下智彬さんが出演。津軽じょんがら節などを披露し、力強く見事なバチさばきで観客たちを魅了した。
森下さんは社会福祉を学ぶ大学生。平日は大学の近くで一人暮らし、週末は実家に戻り、学業と三味線を両立している。三味線を始めたのは小学1年生の時。日本民謡をやっていたお母さんから勧められたのがきっかけで、豊橋市に本部がある津軽三味線教室「雅會」(家元、中野貴康)に入会した。当時を思い出すと、かなり不安なスタートだったという。「三味線を弾くのには力がいるんですけど、僕は特に力がない子どもで。やっていけるかなあと」。しかし、ほどなく大会に参加させてもらったことで気持ちが一変した。「楽しい。もっとやりたい!」。
さらに3年生の時に初入賞すると、より三味線が好きになった。「それまで周囲には三味線をやっていることを内緒にしていたんですが、賞をとれるようになって話してみると『すごいね!』って言われて。それがうれしくて、続けていくモチベーションになりました」。
教室での稽古は月に2回。大学受験の前までは、ジュニア対象の勉強会にも毎月参加して腕を磨いた。中野師匠の教えは、「他の人の演奏を見て覚えること」。小さい頃はそうして学び、大きくなるにつれて、今度は自分が下の子たちに見せることで技や振る舞いを伝えた。
毎年いくつもの全国大会に出場しながら腕を磨いた。中学生になると自宅練習と部活動を両立。ほぼ毎週末、イベントや敬老会などで演奏し、「雅會・弦侍(げんじ)ジュニア」の一員として、コンサートにも出演した。中学・高校時代には、さまざまな全国大会で優勝を果たすまでに成長した。しかし、そんな森下さんも三味線をやめようと思った時があったという。それは大学受験の時と重なった新型コロナの発生だ。当然、大会や発表会は全て中止。練習する機会も減り、気持ちも落ち込んだ。「もう、やめちゃおうか」。そんな時、最初の緊急事態宣言が解除。「津軽三味線・津軽民謡全国大会inびわ湖」が開催を決定し、「練習しなきゃ!」と森下さんのやる気スイッチが入った。優勝は逃したものの入賞をし、気持ちを持ち直した。
その後は大会も徐々に開かれるようになり、2022年7月には、ビデオ録画で行われた「全日本津軽三味線競技会名古屋大会」の一般の部B部門で優勝。11月には、「津軽三味線・津軽民謡全国大会inびわ湖」に出場し、一般男子の部で優勝を飾った。若い翼コンサートは、コロナのおかげで予定の2年遅れでの開催となったが、初の単独コンサートに手ごたえを感じた。「皆さんの視線が自分だけに注がれて、今までの中で一番緊張しました。でもやり切った気持ちでいっぱい。家族とも、本当に演奏出来てよかったと喜び合いました。豊川は地域のつながりが強くてあたたかい場所。ご近所のお年寄などの応援も本当にありがたいです」。
そんな森下さんの夢は、本場の青森である「津軽三味線日本一決定戦」の最高レベル「日本一の部」で優勝すること。そしてもう一つは、医療ソーシャルワーカーや精神保健福祉士になって病院で患者さんを支援していくこと。「そこで三味線が役に立つといいな」。