日本三大稲荷のひとつとされる「豊川稲荷(曹洞宗・豊川閣妙厳寺)」。全国から参拝客が訪れる、豊川市内屈指の観光スポットでもある。ここ豊川稲荷で、観光ボランティアガイドとして活躍するのは市内在住の元看護師、松岡節子さん。「今日はどちらからいらっしゃいました?」と、はつらつとした笑顔を振りまき、明朗でわかりやすい解説が人気だ。ガイド歴は20年以上。「人との出会いが一番の喜び」と語る。
松岡さんは静岡県浜松市の出身。両親と妹の4人家族だったが、1945年6月18日の浜松大空襲で母と妹を亡くした。当時4歳。住んでいた家も焼失し、父の実家がある豊川市内に移り住んだ。経済的に厳しい生活の中、中学を卒業すると岡崎市内の県立准看護学校に入学。奨学金で学んだ。卒業後は県内外の病院に勤め、定年までの30年間は、豊川市内の病院で働いた。60歳で仕事を退職した後は、趣味のハイキングをより楽しみたいと、山登り講座に参加。仲間と近隣の山に登ったり、散策したりした。また歴史に興味があり、歴史教室にも通った。「歴史好きは小学校高学年の頃から。貸本屋で、少年少女向けの偉人本を借りて読んだのがきっかけです。織田信長とか豊臣秀吉とかあって、とても面白いと思いましたね」。
2000年、豊川市観光協会の観光ボランティア制度が発足。「歴史も、人とかかわるのも好きな自分にぴったり」と、迷わずボランティアへの参加を決めた。ただ歴史好きとはいえ豊川稲荷に関する知識はほとんどなかったため、マニュアルで猛勉強して実践練習を重ねたうえで、ガイドデビューを果たした。あわせて、豊川稲荷について詳しく書かれた古書『実録・豊川いなり物語』(1986年/安井四郎著)を手に入れ、知識をグンと深めた。書籍に登場する熊本の大慈寺をはじめ、豊川稲荷にゆかりのある場所に自ら訪れ、ガイドの内容に厚みが出るように努めた。
特に初詣で有名な豊川稲荷だが、実は歴史的、芸術的に優れた彫刻や建築物などが多い。総門の周辺だけでも見どころがいくつもある。松岡さんのガイドを受けて、「普段はスッと通るだけの場所にこれほど多くの情報があったのか」と、目を丸くするお客さんたちも少なくない。こうして豊川稲荷の魅力をたくさん知ってもらえることが、やりがいの一つだ。
もう一つのやりがいは、人との出会いや触れ合い。ある時、一人の男性が本殿の写真を念入りに撮影していた。声をかけると男性は、「この本殿の材料のケヤキは、僕のおじいさんが調達したんです」と。「わたしは思わず、『あなた、西尾さんですか?』と尋ねたんです」。『豊川いなり物語』の中に、昭和5年に建てられた本殿の、材料調達に奔走した人物、西尾源右エ門のエピソードが書かれていたからだ。男性は「なぜ私の苗字を知っているんですか」とびっくり。「ガイドの参考にしている書物に、あなたのおじいさんのことが載っているんですよ」と伝えると、男性はさらに驚き、感激していた。のちに男性から届いた感謝の手紙には、横浜の自宅に戻ってからインターネットで岡山県内の本屋で同じ本が売られているのを見つけ、取り寄せたことなどが書かれていた。そのほかにも、江戸初期の徳川家武将の平岩親吉の子孫の方に声をかけられたこともあった。こういうめぐり逢いは、かけがえのない宝になる。
ガイドは新型コロナウイルス感染症を機に境内に常駐することが減り、事前予約が中心になった。ガイドをする時間は減っているが、編み物や俳句にもいそしみ、一日中ぼーっとテレビを見て過ごすようなことはしない。「それじゃあ人生つまらない。私はいろんな活動をしているおかげで生活にハリがありますし、なにより新しいことを知るのは、いくつになっても楽しいじゃないですか。豊かに暮らさなくちゃね」と松岡さん。「元気が取り柄なので、豊川稲荷のガイドを通じてその元気が他の方々に伝わるよう、これからもがんばります」。