2024年7月26日に開幕するパリ五輪。そこに向けてフランス国内では1万人が聖火リレーに参加し、オリンピアの炎をつないでいる。五輪の象徴となるトーチ。その燃焼部とボンベを担当したのは豊川市の「新富士バーナー株式会社」だ。アウトドアブランド「SOTO」で知られる豊川市の燃焼器具メーカーで、その高い技術力が認められ、前回の東京五輪に続いて採用された。炎にかかわる様々な製品づくりを拡大させてきた新富士バーナー。社長の山本晃さんに聞いた。
蒲郡生まれ。子どものころは喘息持ちで体が弱かったが、両親が海釣りやスキーなどによく連れ出してくれた。「ある時、父親と蒲郡の沖合3キロにある無人島・三河大島に船で渡りました。夏には海水浴場としてにぎわう大島も、その時はシーズン外でひっそり。父が戦争時代に使っていた飯ごうを持っていき、海水で米を炊きました。おかずは缶詰だけ。質素な食事でも、無人島という非日常感も相まって、最高においしかったですね」。これらの体験が、アウトドア好きになった。そして、のちにアウトドアブランドを作ることになった原点だ。
新富士バーナーは1978年、工業用バーナー製造メーカーから独立した山本さんの父親が、蒲郡市形原町で開業。大学で機械工学を学んでいた山本さんが、1980年の卒業と同時に会社に入って営業と開発を担当した。弟の宏さんも大学で化学を勉強し、5年後に入社した。
創業時の会社は、まるで小さな町工場。今でこそ約120人の従業員が働いているが、当時は社長を含めてたった8人だった。配管工事などで使われるトーチランプの製造、販売を開始。1986年には、草焼バーナーの製造、販売をスタートし、現在では国内シェア95%を勝ち取った。
1990年、アウトドア分野に進出するきっかけとなった、手のひらサイズの小型バーナー「ポケトーチ」を発売した。装置に100円ライターを挿入するだけで、炎が強力になり、使用時間は1.6倍、耐風性も上がるという画期的な商品だ。「『100円ライターで何かできないかなあ』という遊び心から開発されたもの。あれほど流行るとは思ってもいませんでした」。時代はちょうど第1次キャンプブーム。ポケトーチは屋外での使い勝手の良さから、アウトドア愛好家の口コミで大ヒットした。これをきっかけに、外国製が多いアウトドア分野への突破口が開かれた。「世の中にないものを作りたいという気持ちが頭の中にあふれて、わくわく感でいっぱいになったのを覚えています」。
1991年には豊川市御津町(旧・宝飯郡御津町)に本社工場と新社屋を移転。本格的にアウトドア製品の開発に乗り出し、翌年にはSOTOブランドで、アウトドア市場に本格参入した。ブランド名は、「厳しい日本の気候風土やインフラなどに合う、使いやすく品質の高い製品を作りたい」という思いから、日本語でアウトドアを意味する「外(SOTO)」と名付けた。工業用バーナーの製造会社として培われた知識や技術力、柔軟な発想をもとに、高性能のガスバーナーをはじめ、経済的な自動車用ガソリンが使え、マイナス20度でも使用できるバーナー、壊れやすいマントルを使わずにプラチナを発光させ堅牢かつ風にも強いランタンなど、次々と個性的な製品を生み出してきた。こだわりは、「新しいものへの挑戦と、高い品質」だ。バーナーは国内シェアトップクラス。今では生産量の40%以上をSOTOブランドが占め、海外でも知名度がある。登山用ガスバーナーは、世界最高峰・エベレストの登山隊に正式採用されるまでになった。「とはいえ、開発した全ての製品がよく売れたわけではないんです。ただ、そこで培われた技術はずっと生き続ける」。その最たるものが東京五輪の聖火リレートーチに使われたプラチナ発光。2001年に新富士バーナーが発売した、世界初のプラチナ発光ランタンに使われた技術で、厳しい気象状況でも消えないという特性が、トーチに最適だった。その技術力が認められ、2022年、パリ五輪の組織委員会からコンペ参加への招待メールが届いた。「光栄でしたがコンペで選ばれるという保証はありませんでした。ですから『やる以上は最後までやり切り、絶対に獲れ』と現場を鼓舞しました」。
受注が決まって喜んだのもつかの間、東京五輪に比べ、製作期間が短く、当然のことながら筐体のデザインも全く違っていたため、開発チームは製作に苦戦。それでも持ち前のチームワークで試行錯誤を重ね、強い雨風に耐え、炎が旗のように揺らめくトーチが完成した。「よくやった、という気持ち。あとは無事に五輪会場まで走り切ってくれることを願っています」。
新富士バーナーは、1月に発生した能登半島地震の被災地に数百台のキャンプ用バーナーを寄附した。「アウトドア用品は防災グッズとしても使えるので、少しでもお役に立てればと思いました」と山本さん。今後については、「引き続き、安全で付加価値が高い製品を作っていくのと同時に、火に触れる機会が減っている子どもたちに、火の大切さや扱い方を知ってもらう、火育などにも力を入れていきたいと思っています」。