三河地域で最も格式が高いとされる「砥鹿神社」。古くから、例大祭での流鏑馬(やぶさめ)神事をはじめ、季節の行事などで広く知られている。そんな中、近年では市民参加型のプログラムやおしゃれなマルシェなども開催され、世代を超えた人たちが訪れる憩いの場となっている。その進化の立役者のひとりが、砥鹿神社の権禰宜・三宅勝晴さん。三宅さんは「神社が言うところの祭事は、皆さんにとってはフェスティバルのようなもの。宗教に関わらず、来ていただいた方々には良い思い出を作ってほしい」と活動している。
三宅さんは豊田市出身。実家はもともと神職の家柄だが、神社の神主を務めていたのは明治時代まで。そのため父親も商売人で、文房具店を営んでいた。そんなこともあり、神職という仕事には全く興味がなかった。一方、日本の歴史や古いものは大好き。大学、大学院の国文学部で日本語の歴史などを学び、博物館学芸員の資格も取得した。そんな様子を見てふさわしいと思ったのか、神職の道を強く勧めたのは祖母。三宅さんは大学卒業後に改めて、神学を専門に大学で学び直し、神職の資格を取った。
こうして神主になった26歳の時、勤務地として希望していた三河エリア内にある「砥鹿神社」に就職。神社では、神職の主な仕事である祭祀の準備、御祈祷や祝詞の奏上のほか、神社内でほこりをかぶっていた宝物の整理係を任された。現在、境内にある建物「神庫」に収める歴史資料に関わる業務で、神社では、刀や銅鐸などの知識がある人を求めており、三宅さんに白羽の矢が立った。「2002年に新庫ができるまで約10年。資料がいつの時代のどんなものなのかを調べたり、コツコツ整理したりしました。県内の博物館などを巡って、展示方法なども研究しました」。完成以来、観光協会の体験プログラムをはじめ、見学の依頼があった時には三宅さんが中心となって丁寧な説明会を開いている。
「砥鹿神社は、三河地域で最も格式が高い神社とされていますが、重要文化財などがあるわけではありません。その分、思い出を作ってもらおうと考えました」。たいてい文化財となると、見学だけで触れることができない。砥鹿神社では逆転の発想で、触れられる宝だからこそできる体験型のプログラムを考えた。例えば、神具や刀などを直接手に取ってもらったり、身に着けてもらったりして写真撮影ができるというもの。三宅さんは、参加者たちの喜ぶ顔を見るのが楽しみだという。
そのほか、対外的な対応や広報、観光ボランティアなどと協力して行事を盛り上げることも三宅さんの大切な仕事のひとつ。砥鹿神社は古くから、例大祭での流鏑馬(やぶさめ)神事をはじめ、四季の行事などで知られているが、数年前から、子育て世代のファミリー層をターゲットにしたマルシェ「とが楽市」を開催。主催する市民参加型マルシェ実行委員会と手を取り合い、幅広い世代が楽しめるイベント開催を目指す。「砥鹿神社は門前がなく、参拝者の滞在時間が短いのが課題。そのためマルシェ開催は大歓迎です。若いお父さんお母さんたちの息抜きの場にもなりますしね」と笑顔で話す三宅さん。「長年豊川に暮らし、このまちが大好きになりました。自然がいっぱいで、祭りごとに対する協力者たちの結束力も強い。神社の発展だけでなく、豊川市が栄えるように協力をしていきたいです」と力強く語ってくれました。