2023年の「箱根駅伝」で3位に入賞した強豪、青山学院大学の駅伝チーム。エースとして花の2区を駆け抜けた、豊川市出身のランナー近藤幸太郎さんは、区間2位でタスキを渡す好レースを展開し、大学最後の箱根を締めくくった。高校までを市内で過ごした地元っ子の力走に、大勢の市民たちが胸を躍らせたのだった。
近藤さんが本格的に陸上を始めたのは代田小学校2年の春。姉の影響で陸上のクラブチームに入った。運動はあまり得意ではなかったが、持久走大会で学年トップになり、それが自信に繋がった。他にもそろばんや空手など色々な習い事をしており、家の方針で中学生になっても一定のレベルになるまでやめさせてもらえなかった。「正直恥ずかしかったです。中学になっても…って。でも頑張るしかないじゃないですか。ただ今思えば、それで『何事もやり通す』ということを学べたと思いますし、親には感謝しています」。
陸上に関してはクラブチームなどのほかに、父親指導の自主練習が小学校高学年から始まった。暇さえあれば市内の赤塚山公園で坂道や階段をダッシュ。帰った後は練習ノートを書いて父親に提出した。部活動さながらの厳しさだ。「いやあ、きつかった…本当きつかったですね~」。それを見ていた市民から激励のファンレターをもらったのは大学生になってから。ずっと応援してくれている人がいることがうれしかった。猛練習の甲斐もあって6年生の時、小学生陸上競技選手権大会・1000m走で、一度も勝てたことがなかった三河地区トップランナーに勝利。陸上の楽しさを実感した。
代田中学校では陸上部とクラブチームで練習を積み、豊川工業高校(現・豊川工科高校)に入学。2年生、3年生とインターハイに出場した。高校駅伝では、同じ市内の豊川高校が立ちはだかり、都大路(全国高校駅伝)への切符を手にすることはできなかったが、毎年県予選前に市内の豊川特別支援学校から贈られる寄せ書き入りの応援旗に励まされた。支援学校とは、一緒に練習することもあった。「みんな純粋。一緒にリレーとかして楽しかったです」。毎年恒例の豊川シティマラソンは、小学校から高校までずっと参加。「スーパーマンの仮装をして走ったのも懐かしいですねえ」。
2019年に憧れだった青山学院大学に入学。晴れて花の駅伝チームの一員になった。しかし表向きは華やかなイメージだったが、練習は泥臭く、成績主義。寮の生活も、楽しいながらも規律はかなり厳しかった。苦しい状況も乗り越えながら、箱根駅伝には2年生から3大会連続で出場。2021年は復路の7区を走って区間3位と健闘したが、チーム全体では前年の総合優勝から4位に沈んだ。そして2022年、各大学のエースが勢ぞろいする2区に選ばれて区間7位の成績でタスキをつなぎ、青山学院大学は総合優勝した。「地元の方々の応援が力になりましたね。うれしかったです、総合優勝」。4年生になって、かかとを疲労骨折。しかし、秋の日本インカレ5000mの優勝で完全復帰を果たし、最後の箱根駅伝では、再び2区を任された。7位でタスキを受け取ると、トップ争いをしていた田原市出身で、地元クラブチームの後輩である吉居大和選手(中央大3年)に追いつき、失速しかけた吉居選手に「ついてこい」というジェスチャーを送って奮起させた。並走しながらトップを走る駒澤大の田澤廉選手(4年)に追いつき、チームを3位に押し上げた。「優勝できなかったけど、まったく悔いのないレースでした。すごく頑張れたから」。
3月にはスーパースポーツゼビオ豊橋向山店で開催された女子選手とのコラボトークショーに出演し、身内や恩師、ファンなどに凱旋報告をした。
近藤さんはこの春から、ここ数年めきめきと頭角を現している実業団チーム「SGホールディングス(SGH)陸上競技部」に所属。喫緊の目標は、2024年元日に開催される、「ニューイヤー駅伝」で社名をアピールすること。前大会の成績6位以上を目指す。
「地元で何か役に立てることがあれば、ぜひ声をかけてほしいと思います。いずれはマラソンにも挑戦してみたいですが、いずれにせよ実業団が僕の陸上人生の最終章になるかもしれないので、しっかりとSGホールディングスに恩返しして、カッコよく終わりたいです」。