サッカー日本代表・SAMURAI BLUEのサイドバックとしてブレイク中の菅原由勢選手(AZアルクマール、オランダ1部)2026年W杯に向かう第2次森保ジャパンの注目株だ。その菅原さんは豊川市出身。今やスター選手の一員となった彼だが、その素顔は人懐っこく、まったく気取りがない。「地元の友人たちにもよく言われますが、今の僕のキャラクターは小学生の頃からほとんど変わっていません」と菅原さん。本人曰く、「ガキ大将だけど、誰とでも仲良くなれる性格」なのだそう。「いつになったら大人になれるんでしょうねー」と屈託なく笑う、素朴な青年という印象だ。サッカーを始めたのは保育園児の時。「きっかけは、仲良しの友だちが誘ってくれたから。『やろうよ』『うん、わかった~』っていう、無邪気なノリでしたね。それがやってみると楽しくて、楽しくて」。入会したのは市内のサッカークラブ「AS.ラランジャ豊川」(宮沢淳代表)。当時のラランジャは中学生が中心で、小学生が公式戦に出られるようになったのは菅原さんが4年生の時だった。公式戦デビューのとたん近隣大会を総なめにし、県大会準優勝まで上り詰めた。学校生活では、運動神経の良さを発揮して運動会などで活躍し、小学6年生最後のマラソン大会は、念願の1位を獲得。「超気持ち良かったです!」。中学生になっても自分が1番速いと思い込んでいた菅原さんだが、そこで出会ったのは、のちに青山学院大学駅伝部エースとして箱根駅伝で活躍することになる近藤幸太郎さん。「勝てませんでした。『レベルが違う人がいた~』って思いました」(笑)。本分のサッカーではめきめきと力をつけ、中学時代から名古屋グランパス下部組織に所属し、高校は東海学園高校に通った。17歳で名古屋グランパスU-18に選ばれて、Jリーグデビューを飾った。世代別W杯を経験しつつも、最初はプロとのレベルの差を突きつけられて悩んだ。「ただ、同時にもっと成長して先輩たちを超えたいと強く思ったんです」。その思いを実現すべく、2019年、18歳でオランダのチームに移籍した。
オランダに行ってから、英語と、日常的なオランダ語をマスター。「サッカーはチームスポーツ。活躍の幅を広げるためには英語がわからないとしっかりコミュニケーションがとれないし、チームメイトに信用されないとボールも回してもらえない。オランダに来てからめちゃくちゃ勉強しました」。子どものころはサッカー漬けで二の次だった勉強も、大好きなサッカーのためにがんばれたという。
オランダは人々がオープンで暮らしやすい国だが、地元の豊川に勝るものはないと菅原さん。「豊川は人々がせかせかしてなくて、住みやすいし、人も優しい。昔公園でサッカーをしていて、何度も近所の家や車にボールをぶつけてしまったんですが、皆さん許してくれて。ほんと、優しい。僕は今、欧州を拠点にしていますが、最終的には豊川に戻ります。気心の知れた仲間もいますから」。
そんな豊川のため、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るっていた2020年の夏、20歳の菅原さんは、市内の小中学校に消毒用アルコールを寄附した。海外にいても、故郷を思う気持ちは忘れない。
2020年の秋、日本代表に初選出された菅原さんだが、ここまですべてが順調だったわけではない。東京五輪とW杯落選、負傷…。「それでもサッカーをやめたいと思ったことは一度もないです。挫折があったからこそ、今があるので」。悔しさをばねに、さらに高みを目指し、この2023年、再び日本代表に招集された菅原さんは6月、豊田スタジアムであった日本vsエルサルバドルの親善試合で先発。堂々としたプレーで積極的に得点に絡み、存在感を示した。地元の友人たちが見守る中、日本代表としての初勝利を挙げたのだった。そこからスタメンとして試合を重ね、この秋の国際試合でも攻撃力を発揮。2024年1月のアジアカップに向けて「優勝を狙っています」と意気込む。「アジア最強を証明するわけだから、どこにも負ける気はないし、全部圧倒して勝ちたい。おこがましいですが、豊川市の知名度を上げるリーダーというくらいの自覚を持ってプレーします。応援してください!!」
「ラランジャでは、楽しんでプレーすることが一番大切だと教わりました。それが今の自分の原点。スポーツをする目的は人によってさまざまですが、かけがえのない思い出になるのは確かです。だから皆さん、どのスポーツをやるにしろ全力で楽しんでください!」