摂食障害のうち、さまざまな不安などから食べ物がとれなくなる「拒食症」。極端に体重が減ると死に至ることもある、心の病だ。子どものころにこの病を発症し、苦しみと向き合いながら自分の道を切り開いてきた女性がいる。豊川市出身のプロボウラー安藤瞳さんだ。安藤さんは2023年5月、自身の体験を綴った本「花壇の外に綺麗に咲く花もあるんだよ」(ギャラクシーブックス)を出版。「少しでも、つらい思いを抱えている方々の力になれれば」と語る。
消防士の父と、書道家の母のもとに生まれた安藤さんは、二人姉妹の次女。初めてボウリングに触れたのは3歳のころだ。当時、市内正岡町にあった豊川エースボウルで家族とボウリングを楽しみ、安藤さんはボウリングが大好きになった。
一方、安藤さんのからだに異変が起きたのは小学4年生の時。拒食症を発症した。「自分でもどうしてそうなるのかわかりませんでした。ただ、私は負けず嫌いですし、周囲の人に良い子だと思われたい、完璧でありたいという気持ちが強かったので、そういうことが原因の一つなのかもしれません」。からだはやせ細り、体力もなくなり、10カ月間入院した。その後、一度は回復に向かうと思われたが、中学2年生で再び入院。苦しくつらい日々の中で、転機となったのはボウリングだった。母が「広報とよかわ」でジュニアスクールの募集を見つけ、背中を押してくれたのだった。
習い始めるとやはりボウリングは楽しく、プロから学んで成長していく自分を感じられるのもうれしかった。努力した分が成果に表れる。病気のせいで見えなかった未来に、一筋の光がともった気がした。そしていつしかこんな思いを抱くようになった。「プロボウラーになりたい」!
夢を見つけた安藤さんはエースボウルに毎日通い詰め、それまで以上にボウリングに夢中になった。ただ真摯に向き合えば向き合うほど、それがプレッシャーとなり、拒食症の症状につながることも。そんな時、家族から「楽しくないならやめなさい」と声をかけられ、ボウリングの楽しさをあらためて思い出して我に返った。
本格的にプロを目指すため通信制高校に入学。エースボウルなどでアルバイトをしながら練習費を稼ぎ、プロの指導を受けた。「夢が叶わなかったらどうしよう」という強い不安があったが、家族のような存在だったエースボウルの関係者たちの励ましもあって乗り越えた。そして2010年、21歳の時に見事プロデビューを果たした。
憧れたプロの世界だが、当時は特に上下関係が厳しく、先輩プロボウラーとの関係性に悩んだ。そうなるとまた病気が顔を出す。家族から「そんなに辛いのなら辞めてもいいんじゃないか」と言われれば、「辛いのは人間関係。ボウリングに対する辛さではないのだから続けよう」と踏ん張った。こうしてプロの道を歩み続け、今年で13年になる。各地で行われる試合に参戦し、2006年からBS日テレで放送されているボウリングトーナメント番組「P☆League」にも出演。第一回・次世代P★リーガー発掘プロジェクトの合格者として、キューティーアイズのニックネームで親しまれている。
エースボウルは2013年に廃業。それに伴い安藤さんは関ボウリングセンター(岐阜県関市)を経て、現在は東名ボール(瀬戸市)の専属プロボウラーとして活動している。積極的にSNSを活用し、ボウリングや自身の経験などについて発信。摂食障害について理解を深めてもらおうと、本を執筆し、「生きていれば、必ず明るい未来がある」と呼びかける。
女子ボウラーは現在、10~70代まで約120人。その中でトップシードといわれる成績上位者は18人のみだ。安藤さんの目下の目標は、そのトップシードに食い込むこと。「そしていずれは優勝して、これまで支えてくれた方々に恩返しがしたいです」。
「豊川市が好きです。住むのにはとてもいい環境。それと私、市の宣伝部長、いなりんも大好き。これからも豊川市出身のプロボウラーとして、ボウリングの楽しさを発信していきたいです」。