豊川市出身で、今、人気上昇中の若手俳優、鈴木康介さん。2018年のデビュー以来、舞台や映像などさまざまなコンテンツで活動中だ。2024年5月公開の、国民的刑事ドラマの劇場版「帰ってきた あぶない刑事(でか)」へも出演し、さらに今後が期待されている。「俳優は、人の生き方を変えるぐらいの力があると思うんです。自分もそうだったから」。謙虚でソフトなイメージだが、演技について語る表情や言葉は力強い。一方で、ふるさとの豊川や地元の友人たちの話になると、一気に目じりを緩ませた鈴木さん。同郷の先輩俳優、渡辺いっけいさんと、「一緒に豊川市を盛り上げていきましょう」と意気投合したという。ますます目が離せない存在だ。
両親と弟の4人家族。小さい頃からおとなしく、引っ込み思案だった。小学1年生の時、父の勧めで地元のサッカー少年団に入ったが、最初は行くのが嫌でしょうがなかった。少年団には複数の学校から子どもが集まってくるので、気後れした。それでも、友達ができるにつれてサッカーの楽しさに目覚め、中学でもサッカー部に所属。守備の要であるセンターバックを務め、3年生でキャプテンになると、県大会への出場も果たした。スポーツ推薦で入学した高校では、県選抜級の選手とのレベル差を見せつけられた。サッカーで活躍はできなかったが、部活を通して学んだことはたくさんあった。今も覚えているコーチの言葉がある。ある日、複数の部員が渋滞に巻き込まれ、集合時間に遅刻。「時間通りに家を出た」と言い訳する部員たち。それをコーチは許さず、言った。「社会は理不尽で成り立ってるんだ。それを忘れるなよ」。僕らは「何言ってんの?」と文句を言い合った。「こうして自分も大人になり、いろんなことを経験し、その意味が分かるようになりました。コーチは何も知らない僕たちに、こういうことを教えてくれていたんだなあと」。
卒業後は大阪の大学で経営学を学んだ。多くの同級生が東京方面に進学するところ、「誰も知る人がいない場所でやってみたい」と、大阪を選んだ。そこで転機が訪れる。服飾学校に通う親友ができ、その卒業制作のモデルを頼まれたこと。「気乗りしなかったのに、やってみたらすごく楽しかったんです」。それに加えて、他薦で出場した美男子コンテストで優勝もした。その親友がスタイリストを目指して上京すると聞き、本当にやりたいことは何なのか自分に問いかけた。それで出た答えが「俳優になりたい!」だった。子どものころ、テレビドラマをよく見た。各ドラマの主人公が好きになり、そのたびに野球選手や警察官などになりたいと思っていた。演じる俳優さんにも強く憧れていたことを思い出した。
両親を説得して退学し、親友と上京。20歳の春だった。
右も左もわからないまま初の東京暮らしだった。ところがすぐに2度目の転機が訪れる。「まずは髪を切ろう」と出かけたヘアサロンでスタイリストに声をかけられたのをきっかけに、芸能事務所「レプロエンタテインメント」からスカウトされたのだ。上京後、たった数週間内の出来事。強い思いが幸運を呼び寄せた気がした。
所属翌日には舞台公演に向けた練習が始まった。その舞台は演技だけでなく、歌やダンスもあり、まったくの素人だった自分にとっては苦労の連続だった。試行錯誤する中で一筋の光が見えたのは、言葉の間の取り方ひとつで観客が泣いたり、笑ったりしてくれるということを、舞台を通じて身をもって体験したこと。「そこから演技に夢中です」。デビュー以来、数多くの作品に出演する中で演技力を磨き、今年は「あぶ刑事」に南署捜査課刑事・剣崎未来彦役で出演。父の世代の歴史的ドラマ。当時の全作品をレンタルし、すごい作品に出られることをあらためて実感した。「高級車が宙を舞ったり、スケールの大きいシーンが多くて、その分、失敗が許されない。人生で一番の緊張感とプレッシャーでした」。
上京して6年。今では都会の暮らしにも慣れた。「大阪や東京に住んでみて、あらためて、みんなが支え合って生きている豊川は素敵な場所だなあと思いました」。家族と訪れた桜トンネルや、サッカーをやった陸上競技場は思い出の場所だ。「中学時代に出会った友人5人とは、芸能界に入った今も、一緒に年越しをしたり、旅行したりする仲。他愛のない話をしたり、思い出話に花を咲かせたり、気負わずに笑いあえるのがうれしいんです。もう10年続いていて、今年は僕が幹事なんですよ(笑)」。
夢は、地元の舞台に立つこと。同郷のいっけいさんと豊川を盛り上げること。そして引っ込み思案な人たちに、人前に出ることの楽しさを伝えること。「まだ一つも目標を達成できていませんが、がんばります。少しでも鈴木康介を気にかけてもらえればうれしいです」。