パラリンピックのロンドン大会(2012年)、リオデジャネイロ大会(2016年)、そして東京大会(2021年)の、3大会に連続で出場した豊川市出身の陸上選手、蒔田沙弥香さん。小学校で陸上を始め、豊川養護学校(現・豊川特別支援学校)陸上競技部で力をつけ、国内外の大会で上位入賞の成績を残している。家族らに支えられ、多くの壁を乗り越えながら20年以上競技を続け、「次は2024年のパリ大会」と、4度目のパラリンピック出場を目指す。
東京大会の前、蒔田さんは、聖火の火種をフェスティバルの集火式に届ける役目を務めた。母校の豊川特別支援学校で開かれた採火式では、堂々とした姿を見せ、後輩たちの前で闘志を燃やした。そして迎えた大会当日、陸上女子1500メートル(知的障害部門)に出場した蒔田さんは、4分54秒60のタイムで6位入賞を果たす。しかしレース直後の蒔田さんに笑顔はなく、その顔は悔し涙でいっぱいだった。母のとよ子さんは「自己ベストの4分45秒を切る、というのが沙弥香の目標。それを達成できなかったのが悔しかったのでしょう」と振り返る。今大会は様々な事情が重なり、事前練習・合宿から大会まで、蒔田さんのコンディションは良くなかったという。どんなアスリートでも、本番に合わせて心と体の状態をピークにもっていくのは難しい。気持ちのコントロールをすることや、気持ちを言葉にすることが苦手な障害を持つ蒔田さんのような選手はなおさらだ。
大会後の落ち込みから徐々に回復し、2022年は、ここまでいくつかの国内大会に出場した。所属している豊橋市のNPO法人で週末を中心に練習し、平日は市内の作業所で働いた後に東三河ふるさと公園などで走り込みをする。父・繁さんが運送の仕事を早出のシフトにして時間を捻出して付き添う。朝はとよ子さんが6キロメートル先にある作業所まで走って出勤する蒔田さんを車で伴走するのが日課だ。介護福祉士のとよ子さんは蒔田さんを送り届けた後、施設に急ぐ毎日だ。
パリを目指して練習を重ねる中、この夏、蒔田さんは新型コロナに感染した。そのせいで、回復後も練習に身が入らなくなってしまったという。やっとのことで11月に大会の出場を再開するも、とよ子さんたちの心配は絶えない。蒔田さんは年齢的にも疲れやすくなり、質の高い練習が求められるようになっているうえ、上手くモチベーションを上げる必要がある。「沙弥香は寂しがりやで、本来は多くの人と練習がしたい。練習の質とか技術などよりも、気の合う仲間たちと楽しく走れることが一番の練習になる」と、とよ子さん。ただ現実問題、仲間づくりをすることは容易でない。今も模索する日々だ。それでも「東京大会では、市長さんをはじめ市民の方々が応援してくれました。沙弥香にとって、周りの応援が一番のパワーなんです」と感謝し、東京大会後の市長表敬で沙弥香さんが誓った「お母さんをパリに連れていく」という言葉を糧に、前を向く。「本人がパリを目指すと言っている以上は、大変ですが、親も支援をしていきます」。
最近は、蒔田さんの弟家族が実家で同居するようになった。蒔田さんにとって、弟と姪と一緒にランニングをする時間が今一番楽しく、大切な時間。こうした日々が実を結ぶ時がきっと来ると願いたい。