市民に向け、身近な情報を提供している「CCNet豊川局」。イベントや学校行事、地域のニュースから、防災・気象情報、交通情報まで幅広く放送しているケーブルテレビ局だ。ここで看板アナウンサーとして活躍してきた近田有希さん。芸術好きな少女がテレビ業界に飛び込み、結婚、出産、育休を経て、再び現場に戻ってきた。そんな近田さんに、仕事のやりがいや育児との両立などについて聞いた。
―――私は生まれも育ちも豊川市で、自営業の両親のもとに生まれた1人っ子。今はテレビカメラの前に立つような仕事をしているけれど、本来は人前に立つのが得意な方ではない。どちらかというと、図画工作などものづくりが好きなタイプだった。地元の高校を卒業したあとは、県内にある大学の文学部に入った。絵を描くことが好きだったので美大に憧れていたが、美大受験は難しいと判断し、本好きでもあったので文学部を選んだ。
3年生の時、夏目漱石の名著「三四郎」を映像化するゼミ活動があり、これが私を映像の世界に導いた。私たちはチーム分けされて、全員が代わる代わる監督を務めながら、撮影を進めた。一人ひとりが独自の絵コンテや企画書を書き、三四郎の世界を表現する。テーマは、日本近代文学の謎の一つとされている、「登場人物の美禰子(みねこ)が、三四郎のことを好きだったのか、そうでないのか」。自分は「好き派」を選び、目線やセリフの行間などで美禰子の恋心を表現。映像はゼミのハンディカメラで撮影し、パソコンで編集して完成させた。作品は、教授から奨励賞をもらった。この経験が、映像に興味を持つ大きなきっかけとなった。
映像の仕事がしたいと思う反面、テレビ業界に入ることへの恐怖心もあって就職について迷っていたところ、ケーブルテレビの存在を知った。地元で仕事がしたかったこともあり、配信エリアに豊川市が含まれている「CCNet」を就職先に選んだ。入社前の約半年間、みっちりとアナウンス研修を受けたことで、徐々に人前で話すことへの苦手意識を克服していった。最初の勤務先は名古屋市内の東名局。地域ニュースのMCや選挙中継など、必死でこなした。しばらくして地元の豊川局に異動になった。「とてもラッキーでした。地元の人たちはフレンドリーだし、学校取材も快く受けてくれる。取材の楽しさを実感できました」。その反面、名古屋に比べて豊川は小規模で、当時は上司と私とパートさんしかおらず、何でも少数精鋭でこなさなければならない大変さがあった。「ケーブルテレビの番組制作は、企画から撮影、原稿作成、動画編集、ナレーション・MC、放送までが一連の作業。アナウンサーとしてテレビカメラの前に立つだけではないことがほとんどです」。大きなカメラを担いで、どこにでも取材に出かける。責任重大だし、とても大変な作業だ。ただ、映像作品制作がもともとやりたかったこと。自分が企画した番組を立ち上げられるのは大きなやりがいになる。小さな職場だからこそ、やりたいことがやれるのは強みと思い、夢中で仕事をした。2018年に豊川商工会議所とともに立ち上げた、市内の企業を紹介する「made in トヨカワ」は、今も続く番組だ。
そんななか、豊川海軍工廠空襲後70年だった2015年、特集番組「8月7日の語り部~記憶の継承者たち~」を制作し、放送した。作品は、「第42回日本ケーブルテレビ大賞 番組アワード」のコンペティション部門で奨励賞を、さらに「地方の時代」映像祭2016 ケーブルテレビ部門で選奨を受賞。徹底した取材を通して、戦争を語り継ぐ大切さを表現した。特集番組を作るとなると、通常の業務に仕事がプラスされることになり、心身ともに大変になる。それをわかったうえで、それ以前から豊川海軍工廠関連の取材には思い入れがあったこと、さらに上司から言われた「自分の心が動いた時には作れ」という言葉に後押しされ、チャレンジしたのだった。完成後は、空襲を体験した方々の感謝の言葉を聞いて、本当に作ってよかったと思った。
その後、結婚と2度の出産・育休を経て、2024年5月、本格的に仕事に復帰した。育休の間に、会社が「子育てサポート企業」として厚生労働大臣の認定を受けるなど、働く女性へのサポート体制が整ってきた。子どもが小学校6年生まで時短勤務でき、育児フレックス制度もある。小さな子どもが2人いるワーキングマザーとしては、自分で勤務を調整できるのがとてもありがたい。
育休中は、子どもを連れてプリオの子育て支援センターにも訪れた。買い物ついでに寄ることができ、とても便利だった。今も近隣の育児施設に、よく遊びに出かけている。「豊川は子育て環境もよくなってきているし、地元ならではのお祭りなども盛んで、とても住みやすいところ。ここで仕事ができることを幸せだと感じています。これからも地域の人たちを主役にした番組を作っていきたいですね。豊川で生まれ育った地元民として、また主婦となった今の目線で、どういう番組が求められるかを考えながら、地域の皆さんが輝く姿を紹介していきたいと思っています」。